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14話 秘密を抱く背中

last update 最終更新日: 2025-09-03 09:30:58

 食事を終えると、ネクターはレックスを連れて静かに階段を下りた。

 幸い、ネクターのシャワーの時間は就寝直前だ。いつもなら、その頃には叔母もすっかり夢の中。だから、たとえレックスがシャワーを浴びても、うまく誤魔化せるだろうと踏んでいた。

 シャワー室は階段を降りてすぐ、裏口にほど近い。脱衣所のドアをそっと閉じ、ネクターは小声で使い方を説明する。

 さすがシャワーくらい浴びられる筈――いや、浴びられなければ困る。湯浴みでも何でもいいから、「元・人間なら本能で思い出せ」と心の中で祈り、ぷいと背を向けた。

「……で。何でおまえ、後ろ向くんだ?」

「脱ぐからでしょ。貴方は男、私は女。当たり前でしょ?」

 ちらりと振り向き、「当たり前のことを聞くな」と小さく返せば、彼は心底つまらなそうな相槌を打つ。

「キスは気にしないとか言ったのに、そこは恥じるのか、変な奴」

「……それとこれではまた話が違うでしょう。ほら、さっさと脱いで浴びてきなさいよ」

 小声でぴしゃりと言うと、気の抜けた返事が返ってくる。

 やがて、絹ずれの音と衣類が床に落ちる小さな音が響き、続いてシャワー室のドアが閉まった。ネクターはほっと息をつき、脱ぎ捨てられた衣服を拾い上げる。

 一応、下着は着けていたらしい……どうでもいい事実を知る。それより、ペンダントは黒く濁っていたのに、服の状態は意外と良いことに気付いた。

 ――とりあえず洗濯して自室で干しておこう。他に着替えはないのだから。

 しかし乾くまでの間、どうするか。背丈は自分より少し高い程度で細身だから、自分の服は着られるだろう。だが女物だ。ブラウスくらいならまだしも、フリルやレースだらけのスカートなど論外。下着に至っては無理だ。

 第一、あの悪人顔の三白眼にフリルは惨事でしかない。彼も拒絶するに違いない。服が乾くまでは腰にリネンを巻いてもらうしかないが、我ながら酷い発想にネクターは少し狼狽した。

 間もなくシャワーの音が止まる。

 ネクターは慌てて背を向けた。

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